【休職編⑦】休職生活2ヶ月目「親友への告白と転機」について
休職生活2ヶ月目「親友への告白と転機」について
こんにちは。あきばです 。
前回に引き続き今回の記事は、休職により完全に生活は堕落してしまい自己嫌悪の連続だった毎日に変化があったことをについて書いていきたいと思います。
↓前回の記事
自己嫌悪の連続
休職してから完全に私の生活は堕落の一途を辿っていきました。
次の日からやろうと思いながらも、結局何一つ行動できないまま1日が過ぎていきます。
病院へ通うことも億劫になり、足が遠のいてしまったり、会社へ提出する傷病手当の書類すらも面倒臭くて放置。
何かを考えることが本当にできなくなっていました。
体も頭もなまっていき、好きなアニメやyoutubeを見ることすらだるくなってきて、ただひたすら寝てばかりいました。
完全に社会不適合者です。
そんな自分に毎日自己嫌悪を感じては、この先自分はどうなってしまうんだろうかと漠然とした将来の不安が頭につきまといました。
こんな状態で復職なんかできるはずないじゃないか・・・と。
妻は私と同じ職場(部署や立場などは全く違います)なので、家に帰ると、仕事で起きたことを教えてくれます。
今までだったら私が話を聞いていて「もっと●●した方がいいんじゃないのか」とか偉そうにアドバイスしていたにも関わらず、私は完全に心が萎縮していて(よくそんなことできるな。。俺には絶対そんなことできないわ・・)となってしまいます。
仕事をしていた頃には、1か月の休暇なんて夢のように思いましたが、休職してから1ヶ月間は地獄のように辛い毎日でした。
親友が東京にきた話
私には親友と呼べる友人が3人いるのですが、そのうちの1人が突然、東京に行きたいと言いだしました。
誰とも接触を取りたくない私は着信も無視して、ラインは未読のまま放置していたのですが、いきなり「来週の土日泊まりにいくからよろしく」と身勝手な連絡がきてしまったため対応せざるおえなくなってしまったのです。
特にこの親友にだけは今は会いたくありませんでした。
私と同じ会社で働く社員なのですが、常に営業成績を塗り替えて毎年社内で表彰される超トップ営業マンです。
人の何倍も努力しているだけあり、ずば抜けて優秀で、自分に厳しい分、他人にも厳しいのです。
だから私がうつ病になる前には、お互い高みを目指そうと、ライバル視しつつも、尊敬しあえるメンター的な存在でもありました。
大阪に住んでいるときには、しょっちゅう旅行に行ったり、飲みに行ったりと休みの日の大半はこの親友と過ごしたものです。
私が3月に東京にきてからは、結婚したこともあり、なかなか都合が合わせられず会うことができないでいました。
東京 の本社勤務となり昇格したことに、自分のことのように喜んでくれた親友。
「完全勝ち組じゃん。お前なら楽勝でやっていけるよ。早く役員くらいなれよな」
そんな激励とともに送り出されたにも関わらず、精神を病んで堕落しているなんてことを知ったら絶対嫌われてしまうはずだし、幻滅させることになるに違いない。
そして、自分の何倍も頑張っている親友の姿をみたら、さらにぺしゃんこになってしまうだろう・・。
同じ会社の社員である以上は、隠したところで必ずバレてしまうのと、2泊3日という長期間共に過ごす中で隠し通す自信がなかったこともあり、打ち明けることにしました。
新宿駅で合流と告白
私の憂鬱な思いの中、当日を迎え、新宿駅で合流することになりました。
会って第一声。
親友「久しぶりやな〜。お前最近ライン無視しすぎやろ〜。仕事忙しいんか?今日はよく休み取れたなぁ」
私「・・俺な、実は10月から休職してんねん・・」
親友「あ、そうなんや!もっとはよ言えや!そしたらもっと早くに泊まりにいけたやんか!めっちゃおもろいやん?」
私「全然おもろないよ。今なんて超絶堕落生活しとって社会不適合者やねんからな」
親友「いやいや、それでも普通なら会社辞めるところ、休職してんのすごいで。うちの部署はあたまえにみんな辞めてくからなぁ。止まっただけ偉いもんやで。」
私「そ、そうかなぁ。結婚したばかりやし、辞める勇気がなかっただけかも」
親友「俺がお前の部署いったら即ストレスや辞めてるわ。俺営業以外無理やから。お前が病むとかエグすぎるや!どんな部署やねん!とりあえず腹減ったから飯連れってくれや。」
私は目頭が熱くなり、涙しそうになりました。
「嫌われてしまう」「幻滅させる」というのは全て私が勝手に作り出していた最悪の想像の結果だったのです。実際に私と親友との絆はそんな浅いものではありませんでした。
その時の私にとってこの楽観的なやりとりで心から救われた気がしました。
その後は浅草やスカイツリー などの東京観光をして、翌日には妻も連れて久しぶりに皆で買い物をして過ごしました。
うつ病にとって本当に大切なのは、心配したり励ますことではなくて、ありのままの自分を受け入れて理解してくれることなのだと思いました。
そんなことを意識していたのかは不明ですが、久しぶりに会った親友によって、私は少しずつ英気を取り戻していきました。
(処方されていた薬の効果が効き始めていたこともあったのかもしれません)
■親友の一言
「日本で生きるなんてイージーゲーム」
これだけ平和で社会保障(生活保護や傷病手当等)が揃って日本で、まず死ぬことはないし、会社を辞めたところで、生きて行くだけならなんとでもなるだろってことらしいです。
この一言は私にとって格言に変わりました。
そして同時に会社を辞めて独立するという思いが強まり、少しずつ日々の生活や心境が変わって行きました。
次回からは、堕落を抜け出して、行動が変わっていったことについて書いて行きたいと思っています。
最後にこんな親友に恵まれていることに心から感謝しています。
長文でしたがお読みいただきありがとうございました。