「元うつ病休職者」の副業がしたくてたまらなくなるブログ

休職3ヶ月で副業収入が本業を超える。副業のメソッドを公開中。

【不安で眠れない夜】不眠症はうつ病の兆候だった

うつ病の始まりは不眠症から

f:id:purbez:20181220115457j:plain

こんにちは。あきばです。

  

前回に引き続き今回の記事は、仕事、家庭等全てが上手く行っていると自身に満ち溢れ始まった新生活から、精神的に追い詰められてしまった過程を振り返ってみたいと思います。

 

>>前回の記事です。

www.reversal8.com

 

残業と激務

お盆前に結婚休暇として、10日連休を取り仕事に戻ると当たり前ながら未処理の案件で溢れかえっていました。

 

連日帰るのは0時を過ぎるという激務が待ち受けていました。取引先への訪問や、会議の連続で昼食をとることもできないような日もありました。

 

大口のモンスタークライアント

私が担当する4社のクライアント先は取引先の中でも、有数のモンスタークライアントばかりで、要求のレベルが非常に高く、少しでもこちらに落ち度があれば社長案件になるくらいシビアな会社でした。(要はとてもわがままなのです)

しかしどこも大口の取引先だったため、常に要求は飲まざる得ません。

 

そして受託した業務を現場へ下ろして、上手く運用できるように調整することが私の仕事でした。

 

常に無茶苦茶な要求を現場にお願いするわけです。容易なはずもなく1通のメールを流しただけで、大炎上、総スカンを食らうことが日常でした。

 

またそれぞれの業務自体がしっかり分担ができていないようなことも多く、社内の中でも揉めたり、逆に現場からの不満も言葉を変えてクライアントへ伝えなければならないこともあり、まさに周りは板挟み状態でした。

 

1日のメール受信数は300通を超え、中には目を背けたくなるような文面だったりしました。電話は鳴り止まず、会議で半日席に居なかっただけで、折り返し電話の伝言メモが10枚以上デスクに置かれることもありました。

 

以前の部署では8年間コールセンターのスーパーバイザーとして、クレーム対応やコミュニケーターのマネジメント等をしておりましたが、現在の業務は全く異なり、かなり専門性の高いものとなります。

 

聞いたことが内容なシステム用語や、フローをある程度理解することができなければコミュニケーションをとる事すらままなりません。

 

実際にシステムを作ったりすることはないのですが、クライアントの要求を正しく伝えなければ取り返しのつかないような事になるため、必死で解読して連携しなければなりません。

(クライアントからはかなり抽象的な依頼ばかりでした・・)

それを私と部下の2人でこなします。

 

デキ過ぎる部下と惨めな自分

部下は私よりも若く年下ではあるもの、仕事もよくでき、新卒から本社勤務で人望も厚く、この部署に配属されて5年の大ベテランだったため、頼ってしまってばかりでした。

 

分からない事はとにかく聞いて、自宅に帰っても、復習したり、翌日の仕事を把握したり、早く一人前になりたくて努力しました。

 

しかしどれだけ努力しても、周りについて行けず、専門用語や業務の意図を理解できてない私を避けてクライアント先や現場のメンバーは部下とやりとりをするとが増えてきました。私に直接言うよりも、部下を通した方が円滑に上手く調整できるのですから当然といえば当然ですね・・。

 

部下の業務や負担は徐々に増えていき、徐々に関係も劣悪になっていきます。PCのタイピングを叩く音がどんどん強く乱暴になり、心に突き刺さりました。

 

部下の残業を手伝おうとしても、「●●(私)さんじゃわからないと思うので結構です」と断られ、気がつけば私よりもん遅くまで残業していることもありました。

 

そんな様子を見かねた上司は、私に「全部部下に任せすぎじゃないか?なんでお前が引き取ってやらないの?部下より先に帰って恥ずかしくないの?」と言い放ちました。

 

返す言葉がありませんでした。

 

これほど「自分が惨め」だと感じたのは生まれて初めてのことかもしれません。

 

前の部署では、誰からも信頼され、何をやっても評価され認められていたはずの自分が、今では誰からも認められず迷惑ばかりかけているという現実に直面しました。

 

部下より先に帰りたい訳では決してないし、任せたい訳でもないのに・・。

 

それからは、部下が残業している時には、手伝えることがなくても残るようにして、メールをチェックしたり、翌日の仕事を前倒ししてすることにしました。帰宅する時間はどんどん遅くなり、疲れは溜まる一方でした。睡眠時間も減り、食欲も徐々に湧かなくなっていきました。

 

妻は私を気遣い遊びにいきたいであろう休日も家でゆっくりしたり、共働きであるにも関わらず、掃除、洗濯、料理、家事全てを卒なくこなしてくれ、そんな妻のためにもっと頑張らなければと思いました。

 

月末上司に呼び出されました。月の残業時間が三六協定を超えてしまっていたことでコテンパンに叱られました。

 

「優先順位つけて仕事しろよ。全然仕事調整できてないじゃないか。とにかく今月は絶対規定超えるなよ」

 

仕事量が減る訳でもなく、人が増える訳でもない、一体どうすればいいんだよ、という文句は言いたかったですが、自分が仕事ができないことが根本的な原因のためぐっと堪えました。

 

人生初めての謝罪訪問と不眠症

とある日、現場で起こしたミスが原因でクライアント先へ謝罪訪問へ行かなければならなくなりました。謝罪訪問に行ったことなど人生で一度もなく、大きなプレッシャーでした。上司が同席するものの、私が経緯詳細を説明しなければなりません。

 

経緯を上手く説明することができるだろうか、クライアントから質問された事に答えられなかったどうすれば良いだろうか・・・。そんな不安な思いばかりが頭によぎります。

 

思えばこの頃から、思考がかなりネガティブになっているように感じます。

 

思いもよらないことが裏目にでて炎上させて、責められたることがトラウマになっており、何をするにも「失敗やミスをしないか」が不安で簡単な事ですら楽観的に考えられず、手が止まってしまうことが増えてきました。

 

先の不安で眠れない夜

謝罪訪問は1週間以上先なのですが、何をしている最中も常に頭の片隅にあり、気が休まりませんでした。夜ベッドに入り目を閉じると最悪な想像ばかりしてしまい寝付けず、寝れても夜中に夢に出てきて目が覚めてしまいます。体も頭も疲れているのに再び寝付く事ができず、頭が朦朧とした状態で朝が来るのです。

 

そんな状態が毎日続きました。睡眠不足のせいか仕事中は今まで以上に頭が働かず、今まで以上に処理に時間がかかるようになりました。

 

謝罪訪問当日は、体が震えるほどのプレッシャーではありましたが、ミスが上手くリカバリーできたことや、時間が経過していることもあり、あっけない程すんなり終わることができました。

 

本来ならもっと気も晴れて、自信に繋がるような経験だったと思いますが気が晴れることはなく、不眠も改善されず恒常的に深夜に悪夢にうなされて起きることが続きました。寝言でひたすら謝っていることもあったようです。

 

その時の 思考回路は「また現場がミスしたらどうしよう。そういえばあの案件も指示出ししたけどミスはなかっただろうか」×∞と起っても居ない心配を妄想ばかりが頭をぐるぐるしていました。

 

「不眠症 症状」 「うつ病 兆候」「会社 辛い」とネットで検索をかけたりすることが増えましたが、入社(異動)して半年が一番の山場だと書いているブログ記事を見つけ、自分に「今が一番どん底」と言い聞かせました。

 

希望と自信が大きかった分、何よりも「仕事ができない自分の惨めさ」に落胆し自信が粉々に打ち砕かれてしまったように思います。

 

 プライドを捨てれなかった代償

愚痴っぽくなってしまいましたが、私自身も無理をせず早めに周囲に相談していれば避けられていたのかもしれません。

 

にも関わらず変なプライドが邪魔して、ポジティブでへこたれない自分を無理やり演じて居たり、なんでも引き受けてしまったことも今思えば原因の一つでした。

 

会社としては業務分担やフォロー体制の構築、人員計画等もちろん改善すべきことも多いですが、勇気を持ってで悩みや思っていることはきちんと周囲に相談すべきだったと思います。

 

もちろんそれで改善されるかは別ですが、自分を責め続けたあげく「うつ病」となることを考えれば断然賢い選択のはずです

 

長文でしたがここまでお読みいただきありがとうございます。次回は心が完全に折れて心療内科へ駆け込んだことをまとめていきたいと思います。

 

>>>続きはこちらから

www.reversal8.com